品田雄吉が肺がんで死去-子供時代・経歴・プロフィールなどをご紹介 - きょうトピ!

品田雄吉が肺がんで死去-子供時代・経歴・プロフィールなどをご紹介

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映画評論家の品田雄吉さんが肺がんのため
亡くなられていたことがわかりました。


映画評論家として辛口の部類に入るという品川雄吉さんですが、
子供のころから映画をよく見ていたようです。


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出典=http://www.nikkei.com/


子供時代のエピソードや経歴・プロフィールについて
調べてみました。



子供のころから映画好き?


品田雄吉さんは北海道留萌管内遠別町の出身です。


子供の頃は遠別町には映画館がなく
公会堂のような公共の集会場で映画が上映されていたらしく
「遠別座」という劇場が出来たのが小学生になる頃。


劇場の作りも普通の映画館とは違っていて
花道や枡席があり、畳敷きだったそうで
東京の「歌舞伎座」と同じようなつくりになっていたとか。


そんな劇場で映画の上映がされるときには
今は懐かしいちんどん屋が村の中を走り
映画の上映を知らせてくれたそうです。


映画の上映がある日は、町中の人が
仕事を早めに切り上げたりして
家族で映画を見に行ったりしていました。


そして、品田雄吉さんが中学に入るとき
札幌の親戚の家に預けられたそうですが
入学から2年程で戦争が酷くなり
勤労動員で飛行場の滑走路の板敷きをしていたようです。


そして、親戚の家に預けられてからは
監督する人間がいなかったらしくやんちゃしていたんだとか。


当時、中学生が1人で映画館に入ると退学になるらしいのですが
品田雄吉さんは、1人で映画館に遊びに行って
映画を見て感動してらしいのです。


もし捕まっていたら
今までの品田雄吉さんはなかったかもしれませんが
当時の行いが大きな財産になっていたようです。



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映画評論家になるきっかけは?


小さい頃から映画をよく見ていたという品田雄吉さんですが
映画評論家になるきっかけはなんだったのでしょう?


北海道大学にいたころ、「キネマ旬報」という雑誌の
懸賞論文に応募したことがきっかけのようです。


朝日新聞で連載されていた獅子文六原作の「自由学校」という小説が、
松竹と大映から競作として映画化されました。


品田雄吉さんは、その比較論を書いて応募したところ
その論文がなんと一等賞に。


佳作に映画監督の深作欣二の名前があったとのことなので
その実力は当時から光るものがあったいうことでしょうか。





ただ、応募の動機は賞金
半年分のキネマ旬報だったらしいです。


欲があったほうが人生上手くいくのでしょうかね。


そんな品川雄吉さんですが、晩年は
ベルリン国際映画祭の審査員や、
東京国際映画祭黒澤明賞の審査委員長
などを務めていらっしゃいました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。




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2014-12-22 21:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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